岩尾城
琵琶島城、藤ガ城、藤ヶ城とも。標高659m、比高33m。 岩尾城(長野県佐久市鳴瀬)は、鳴瀬集落の台地が西側に突き出て、三角形の突端になった部分に占地した。その形状から「琵琶島」の異名が伝わっている。現在、三島神社が建っている。落合城の南側500mになる。 文明十年(1478)に、この地を分知された大井行俊が長土呂から移り、岩村田館守護のために築城したといわれる。 岩尾大井氏は四代目行頼が武田氏に出仕したため、一時その留守を真田氏が預かったこともあるといわれている。天正十一年(1583)、五代目行吉は徳川家康に与した依田信蕃に攻められ、信蕃と弟の信幸をたおしながら力尽きて開城し、行吉は関東に去り廃城となった。 本郭は最高所にあって逐次東方へ二の郭、三の郭と続き、その下に三ヶ月堀、更に東方より北方に台曲輪、西方に掘切を経て控曲輪の跡がある(『現地説明板』)。 室町時代中頃から戦国時代末期までの約百年余に亘り、大井氏一族五代に及ぶ居城として使用された城跡で、城主の平常の居館と戦時の軍事的防塞の機能を兼ね合せた平山城として本郭以下城跡の規模をよく残していて重要である(『現地説明板』)。 (この記事はjun2oi様のご指摘により、修正したものです。平成25年9月7日) |
(城址の航空写真)
(現地案内板)
(【左写真】三日月堀址というがよく確認できない。この辺りは三の丸だったという。【右写真】本丸址)
(本丸の奥に位置する郭。今では荒れ果てている。「琵琶島」という名で呼ばれている曲輪である。)
(【左写真】二の丸址。本丸の一段下がったところ。【右写真】城址遠望)
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