荒砥城

標高612m、比高197m。村上氏の本拠・葛尾城の支城と考えられる。

葛尾城主の村上義清の支族・山田氏は平安時代末期から続く在地の豪族であったようで、立木物と言われる十一面観世音菩薩を本尊とする。古刹清源山智識寺大御堂の建立、荒砥城などの築造は山田氏ゆかりの遺構と伝えられている。

山田氏の滅亡後、荒砥城は屋代城主・屋代氏に属するものとなったが、その間、地方豪族による城番管理がなされたという。天正十年(1582上杉方であった海津城副将の屋代秀正は真田昌幸に勧誘されて、徳川家康へ寝返り、この荒砥城に籠城したが上杉諸将に攻められ落城した。

戸倉上山田温泉街から万葉橋を直進して麻績方面に急坂を登っていけば城址公園の看板があるので行きやすい。

  

 (【左写真】城址は観光地として石垣が復元されているが、戦国期の遺構と思われるものが一部に確認できる。徳川期のものであろうか。)

(【右写真】主郭跡で、色々と建築物が再現されているが、やや観光地化している。)

 (主郭から望む。中央の山の右ピークが「姫城」で中心のピークが「葛尾城」。左の高みが五里ヶ峯。)

 

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