鷲尾城

標高550m、比高190m。倉科氏の本拠。

歴史的背景は明らかではないが、川中島地方を支配していた村上氏の配下にあり、街道や峠を監視する役目を負っていたと思われる。

本郭は東西28m、南北21mほどの不整楕円形をしており、外壁は板状の石を小口積みした高さ4mほどの石垣となっている。南側に虎口を設け、また南側から西側にかけて犬走り状の平坦面を設けている。東側には高さ3mほどの土塁と深い二条の堀切を設け、東西28m、南北12nの一郭脇曲輪があり、さらに三条の堀切を配している(『倉科史跡保存会・更埴市教育委員会・現地説明板』)。

現在の松代・千曲地方には同様の山城がいくつかあり、それらを総括したのが尾根伝いの鞍骨山山頂に築かれた清野氏の本拠である鞍骨城である。鞍骨城をもって中心的な城郭とし、また詰めの城としていたという。このような防御体制が武田信玄と上杉謙信の川中島合戦の前に出来あがっており、それが川中島の戦局にも大きく作用したという(『真説・川中島合戦』)。

遺構の保存状況は大変良好で、石積みに囲まれた主郭と、背後の深い二重堀切に目を見張るものがある。縄張り自体には複雑さはないものの、これら高度な施設は武田氏滅亡後の上杉氏時代の遺構であろう。

城址は倉科地区、県道392号石枕池の近く、大日堂の脇から登山道が走る。急斜面を一気に登り15分だが手ごたえ十分の道のり。

 

 (【左写真】本郭。28m×21mで石塁が囲む。【右写真】本郭の虎口部分。)

 

 (鞍骨城雁田小城霞城と類似した石積みが主郭を囲む。)

 

 (【左写真】本郭の下には腰曲輪が数段あったと思われる。【右写真】腰曲輪も石積みで補強されている。)

 

 (【左写真】主郭背後の二重堀切。主郭とは15m以上の高低差。【右写真】堀切も石積みが見られる。)

 

 (【左写真】大日堂の登山道入口。【右写真】城址遠望。右にやや低いピークが城址。)

 

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