榎下城

 現在の旧城寺にあって久保城とも呼ばれる。築城はよく分からないが、上杉憲清の子・憲直が城主であった時代の1438年に勃発した永享の乱で足利持氏に加担したが、敗れて金沢称名寺で自決してこの城も廃城になったという。

小田原北条氏の時代となって小机衆の拠る小机城に対しての出城の役目を果たし、鎌倉街道中の道を押さえる相模の重要拠点あったという。その後、慶長年間(1596年〜1614年)になってその城跡に旧城寺が建てられている。

   

(JR横浜線中山駅南口を相模原方面に線路沿いの道を行くと左写真のバス停がある。この左奥に旧城寺があるが、その看板もあるので迷う事はないだろう。右写真は本郭址。面積は結構ある。ここも墓所が広がっていくようだ。)

 

(本郭の周りにはわずかに土塁と思われる遺構が確認できる。右写真が旧城寺で、この裏に本郭がある。)

 

(寺の裏から本郭を望む。奥の茂みに一段高いのが本郭で、ここは二の郭と思われる。虎口があったというが今は確認できない。)

(右写真は城址の説明文。)

 

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