田代城

標高120m、比高25m。田代古城とも。

田代城(神奈川県愛甲郡愛川町田代)は、中津川沿いの富士居山の麓が緩やかに傾斜した上田代の台地上にあった。

築城は弘治年間(1555-58)といわれ、内藤下野守秀勝によるとされる(『日本城郭大系』)。

津久井城主内藤氏の一族・内藤秀勝は後北条家の家臣として半原・田代・角田を137貫をもって領した(『小田原衆所領役帳』)。秀勝の子・三郎兵衛秀行も城主となり親子二代が在城したという(『新編相模国風土記稿』)。

永禄十二年(1569)三増峠の合戦の主戦場からは目と鼻の先の距離である。確かな史料にはその時に田代城の名前は出てこないようだが、地元の伝承では武田信玄によって落城されたといわれる(『新編相模国風土記稿』)。
いずれにせよ重要な役割を負った城であるのは確かだろう。

細野城から中津川を挟んだ対岸に位置し、愛川中学校の裏山で中津川の崖の上が狼煙台址。ここをさらに三増方向に登って行けば三増合戦の碑や胴塚、さらには三増峠に至る。

城址の伝承・地名が残るのみで、城についてはほとんど解明できない。城郭の痕跡は窺えるものの、明確な遺構は確認できない。
中学校付近には居館が構えられたと思われる。背後の峻険な山には、狼煙台が築かれたという。

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

(城址の航空写真)

(現地説明板)

 

(【左写真】城址とされる愛川中学校。【右写真】中学校の裏にある八幡社。城址の一部という。)

 

(【左写真】中学校の西側の平場。ここが居館跡とされる。)
(【右写真】居館跡の脇には竹薮がある。『日本城郭大系』によれば、ここに石積みが残り、虎口状だというが不明。)

 

(【左写真】付近の土盛り。石積みらしき痕跡もある。【右写真】居館跡脇の土塁らしき地形。しかし遺構かは不明。)

 

(【左写真】中学校背後の山麓には平場がある。遺構か耕作地跡かは不明。)
(【右写真】右手の白い建物が中学校。背後の山には狼煙台があったという。)

(中津川対岸の細野城から見た全景)

 

田代城狼煙台

(居館跡から見た狼煙台跡。中学校の裏手から登ったが、登山道は不明確で、ほとんど無い。)

 

(【左写真】狼煙台は富士居山と呼ばれているようだ。【右写真】狼煙台。小さい頂上で、遺構らしいものは無い。)

 

(【左写真】狼煙台からの眺望。【右写真】狼煙台虎口。というよりも自然地形だ。)

 

(【左写真】南斜面には広大な削平地がある。後年の耕作地かも知れない。【右写真】明確に人の手が入っている。)

(三増合戦信玄旗立て山から見た狼煙台全景)

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