細野城

標高170m、比高60m。城山とも。

細野城(神奈川県愛甲郡愛川町半原)は、中津川沿いの仏果山の東麓が緩やかに広がる半原台地上にあったという。

築城は永禄年間(1557-70)で、内藤三郎兵衛定行によるとされる(『皇国地誌残稿』『日本城郭大系』)。

津久井城主内藤氏の一族・内藤秀勝は、後北条家の家臣として半原・田代・角田を137貫をもって領した(『小田原衆所領役帳』)。秀勝の子・三郎兵衛秀行と親子二代で領したという(『新編相模国風土記稿』)。

内藤父子は、細野城から中津川を挟んだ対岸に田代城を築いてこの地を治めていたが、永禄十二年(1569)三増峠の合戦の主戦場からは目と鼻の先の距離である。
しかし、確かな史料には細野城の名前は出てこず、また
『新編相模国風土記稿』にも記載はない。

一説には、武田信玄によって田代城とともに細野城も落城したとされるが確証は無い。

甲郡の愛川町に城址はある。愛川町役場の裏山で、国道412号の「半原小入口」という交差点を中津川方向へ下れば馬渡り坂という場所に出て、まもなく役場に着く。

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

(城址の航空写真)

 

(【左写真】木戸口坂や馬渡りなどの地名が残る。【右写真】坂を上がると中央写真の鎮魂碑がありこの裏山が城址。)

 

(【左写真】かすかに堀の址かと思われるもの。【右写真】山中にある祠。二の丸址か。)

  

(【左写真】本丸址。遺構は何ら残っていない。【右写真】遠望で中央の山が城址)

 

(ビルの辺りが本丸跡。背後の国道412号は空堀跡だろう。ビルと国道の間に説明板がある。)

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