足柄城

 城址は足柄峠の頂上地点に位置する。足柄峠は、古くから「神の御坂」と呼ばれる政治・交通上の要衝の地であり、しばしば戦闘拠点となって歴史上ここで勃発した合戦も多い。

足柄城の起源は非常に古いらしく、はじめは関所であったが、すでに鎌倉時代にはその痕跡も認められなかったという。

城郭としての足柄城は戦国時代に後北条氏によって築かれた。天文5年(1536年)の今川氏輝死去による今川家の家督争いで、今川氏と後北条氏と親密な関係が崩れ、花倉の乱が起こった。この時甲斐・駿河への防御として大改修されたようである。元亀2年(1571年)には後北条氏のものであった深沢城が攻略され、深沢城主・北条綱成は玉縄に退避するまで足柄城の城番として入城したともいわれている。

その後天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原城攻めの際は三島の山中城と共に小田原防衛網の一翼を形成していたが、徳川家康の重臣である井伊直政らの軍勢の攻撃を受けて、守兵の依田大膳亮は雑兵26人を討たれて、あっけなく落城している。城兵は小田原へ撤退した籠城に加わったという。

(足柄城の北側にある馬場平。小田原合戦の際に徳川家康がここに布陣して足柄城攻めの陣頭指揮にあたったという。)

  

(足柄峠の碑と富士山。右写真は本丸址。)

  

(本丸から二の丸を望む。その間には右写真のような空堀が巡らされている。)

  

(二の丸址。その奥には三の丸があって、右の空堀がある。)

  

(三の丸から二の丸、本丸方向を見る。中央写真は本丸にある池。水が枯れる事はないという。右写真は足柄峠の頂上点付近で、右の林の上に城址がある。城址に赴くには県道78号の足柄峠を目指せばよい。頂点付近に峠の案内看板があって、そこから少し徒歩で登れば到着する。)

 

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