深沢城

460年ほど前の戦国時代に、駿河の今川氏が築城したという。

その後小田原の北条氏が占領して、黄八幡で有名な北条綱成が守備していたが、元亀元(1570)11月、甲斐の武田信玄が包囲し、金山衆などを使って攻めたてた。翌元亀213日、信玄は深沢城に有名な矢文を送って開城をせまり、ついに綱成は藤沢の玉縄城に退き、その後は武田氏が支配した。北条氏は奪回を試みたが失敗し、深沢城は武田氏の所有となり武田氏の重臣の一人駒井右京之進が城主として居城した。この間に武田軍は三日月堀や馬出しを造り、大改修を施したと考えられている。

天正10(1584)年武田氏没落に際し、右京之進は城を焼いて退去し、武田勝頼とともに田野にて果てたといわれる。やがて天正12(1584)年、徳川家康が織田信雄に加勢して小牧山で豊臣秀吉と戦った際に、後北条家への押えとして三宅惣左衛門をおいたが、天正18年(1590)徳川家康が関東に移封されたのを機に廃城となったという。城跡は、抜川と馬伏川に挟まれた自然の台地を利用した二鶴様式で築かれ、また武田式城郭といわれる三日月堀や土塁などが残る。

  

(深沢城址の碑。このすぐ裏に中央写真の三日月堀が確認できる。木で鬱蒼としているが結構な深さはあった。右写真は馬出し。)

  

(三の丸付近にある「下馬溜り」と本丸址。本丸は一面の田園と化している。)

 

(本丸と二の丸の仕切りには厳重な堀が巡っている。他にも自然の川が流れており、わずかに往時の要害ぶりが垣間見られる。右写真は全景。中央の林が城址。)

 

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