浜松城

浜松城(★★静岡県浜松市中区元城町)

浜松城は徳川家康が遠州攻略の拠点として築いた城で、元亀元年(1570)六月に入城し、十七年間在城した。東西600m、南北650mの規模で、南の東海道に大手門が開き、東から西へ三之丸、ニ之丸、本丸、天守台と連なり、順次高さを増す。ここは、その天守曲輪の跡である。家康の後、城主は代々譜代の大名が勤め、在城中に老中まで昇進した人が多い。中でも水野越前守忠邦の名はよく知られている。石垣は野面積みと呼ばれる堅固な作りで、古い石垣の特徴をよく残しており、浜松市の史跡に指定されている(『城址案内板』)。

浜松城公園となっており、遺構はあまりない。

2014年浜松市の発掘調査で、本丸南側に家康時代の堀跡(幅11m 深さ2m)が発見されたという。

 

 

(【左写真】武骨な石垣が残る天守台と昭和に復興された天守【右写真】復元された本丸天守門

 

 2015.3.20訪問

城と古戦場

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 飯尾乗連が築城した曳馬城が起源という。

1577年に徳川家康が大改修し1586年まで本拠とした。三方ヶ原の戦いで武田軍に惨敗を喫した家康は、命からがら浜松城に逃げ込み、追撃を避ける為、酒井忠次の発案で城門を開け放ち、かがり火を焚き、太鼓をうたせた。いささか三国志演技のごとき喜劇じみた逸話ではあるが、家康最大の敗北時の拠点で逃亡先である事は確かである。

家康の関東入封以後は譜代大名がめまぐるしく入れ代わり「出世城」とも呼ばれた。荒々しい石垣は昔のままというが、復元天守があるように浜松市のひとつの観光地である。

 

(浜松城天守より三方ヶ原合戦地を望む。)

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