田中城

徳之一色城とも。築城年不明。

今川氏の属城を経て武田軍の駿河における拠点。円郭式縄張りの典型といい、信玄は馬場氏勝に命じて改修させている。天正三年(1575)の長篠・設楽ヶ原の戦い後に徳川家康の総攻撃を受け落城した。一説に157815801582年の三次にわたって合戦があったとされるが、その他にも徳川軍は頻繁に攻撃をしたと思われ(計8回との説もある)、かなりの堅城であったと考えられる(『日本の名城・古城事典』)。

家康は1616年この田中城で死の発病をしている。122日の深夜2時頃といい、以心崇伝は「俄に御虫差発、御痰つまり」(金地院崇伝日記)と記しており、普通には鯛の天麩羅を食べすぎての発病といわれている。

(城下町を思わせる地名が残っているが、住宅街に変貌している。写真中央に田中城址の石碑。) 

 

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