樋口城

樋口内城とも。城址は現在何の遺構も確認できない。中央道建設時に発掘作業がされ、主郭・二の郭・堀切などが確認でき、主郭部からは縄文〜中世の遺構と遺物が発掘されたという。

この城についての文献は皆無で、木曾義仲の家臣・樋口次郎兼光の居館ともいわれるが確証はない。しかしすぐ西方に位置する荒神山城は1544年に武田信玄が布陣し、周囲を焼いている(『高白斎記』)ことから、荒神山城と同時に落城して放火されたのではないだろうか。

荒神山の中央高速道側すぐの山麓にある。わずかに「樋口五反田遺跡」と書かれた朽ちかけの木碑が城址に立っているのみ。

 

(城址は水田化と高速道によって完全に消失してしまっている。わずかに右写真の木碑があるものの遺構は確認できない。)

 

 

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