滝山城

標高170m、比高80m。

大永元年(1521)関東管領山内上杉氏の家臣・大石定重が築城。北条氏康・綱成が川越城の戦いで上杉朝定を破った為、後北条氏へ明け渡される。その後、北条氏照が城主となるが、防御に適した八王子城を築城した事により廃城となる。

永禄二年(1559)に武田信玄の攻撃を受けている。都留郡の小山田信茂らの軍勢を加えた武田信玄は拝島大社に本陣を張り、勝頼に総指揮を命じ、馬場信房、山県昌景、内藤昌豊、真田信綱ら錚々たるメンバーで攻めている。二の丸までは落ち、落城寸前であったが、信玄は囲みを解き、そのまま小田原城に向かっている。

多摩川沿いの小高い山に所在しているが、ややその入り口は分かりにくいものの、本丸付近まで車道が走っており、訪問は容易である。

 

(【左写真】いくつか見られる空堀は大規模で見応え十分。【右写真】城址の東側にある家臣屋敷址。信濃屋敷、刑部屋敷とも。)

 

(【左写真】本丸の引き橋と枡形虎口。非常に残存。【右写真】本丸で井戸も残る。)

 

(【左写真】中の丸で千畳敷と呼ばれるように広大。【右写真】二の丸。ここまで武田信玄は落とした。)

(八王子城にある滝山城鳥瞰図)

 

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