霞城

標高400m、比高65m。大室氏代々の城と伝えられる。大室氏は天文年間(1532-55)は村上義清に仕え、村上氏滅亡後に武田信玄へ従属。武田氏が滅ぶと、この地を支配していた森氏に仕え、また織田信長に従った後、上杉景勝の時代においては海津城代を勤めたという(『信州の城と古戦場』)。

主郭を中心に、壮大な石積みで守られた山城。それぞれの郭も大規模で、複雑な縄張を擁している。石積み自体は信州によく見られる薄い岩を重ねた牛蒡積みであるが、それらは土止め目的で使用されるのが主な中、霞城の石積みは郭を区画する目的もって配置されている。天然の地形に石積みを配すのでなく、石積みで郭を形成する技法は、武田氏時代の信州の城郭では見たことがない。「信玄を捜す旅」管理人殿ご指摘のとおり、上杉氏が改修したのが現在の遺構と思われる。

城址は、松代町大室にある。大室氏の居館は永福寺でないかと思われるが、その裏山に位置する。高井大室神社を大室古墳群方面へ曲がって、上信越自動車道下のトンネル手前を右に進むと登山道がある。登山は10分ほどで、尾根まで出たら右の山頂を目指す。

  (信濃史学会編『信州の山城』信毎書籍出版センターの縄張図)

 

 (【左写真】主郭。広いが全く整備されていない。 【右写真】主郭石積み近写)

 

 (【左写真】石積みは高いところで3mほど 【右写真】石積みが郭を形成する)

 

 (【左写真】南断崖の上にも石積み 【右写真】石積みによって区画がはっきり分かる)

 

 (【左写真】竪堀らしき地形も遺構かは不明 【右写真】城址遠望)

 

 

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