狐落城

築城年不明。村上氏の本拠である葛尾城の支城。詰めの城ともいわれる。

村上一族の小島兵庫助が守っていたが、村上氏から武田氏の寝返った大須賀九兵衛らに攻められて1553年に討ち死にし、この城も陥落した。砥石城の落城以来、村上氏から離反する将が多かったなかで、この本拠より約3キロほどの近距離にある支城があっけなく陥落したのは、村上義清を徹底的に追い詰めたであろう。

非常に険峻な山で、「狐ですら落ちる山」との意味で名づけられたという。

上田原合戦地から岩鼻脇の県道77号を走って、葛尾城の対岸を走って網掛地区で道沿いに小さな城址の案内板が発見できた。城山の麓には神社があって城址登山道入り口の看板もある。

  

(本郭付近に見られる石垣の址と思われるもの。右は城址に向う登山道だが、ここは削平されており、番所があったのかも知れない。)

 

 (狐落城より葛尾城を望む。中央の三角の山が姫城でその後方が葛尾城。右写真は城址全景。登山はキツく長い。)

 

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