新府城その2

 

新府城縄張図

 

(【左写真】東三の丸の南側の「西曲輪」。かなり埋もれており明瞭ではないが、ここにも何らかの防御施設を想定していたのだろう。【右写真】西三の丸。相当に広大な曲輪で、発掘調査から居住用の建築物が存在していたようだ。)

 

(【左写真】西三の丸の土塁。この先は東三の丸。【右写真】西三の丸から登るとほどなく「馬出」に到着。)

 

(【左写真】同じ二の丸馬出だが、現在の車道は後年のもので、戦国時の大手道ではない。写真右側の削平地が二の丸馬出。【右写真】二の丸馬出の全景。二の丸虎口から撮影したもの。)

 

(【左写真】二の丸虎口と土塁。新府城ではかなり重要な防御施設であったと感じられる。発掘調査では礎石が出土しており、番門が存在していたことを裏付けている。【右写真】二の丸の全景。三箇所の虎口があり、大手、搦手、本丸へとつながる城の最重要防御地。。面積は非常に広大だが、虎口の礎石を除いて、ほとんど出土品が無い状況。重臣が入るべき二の丸は全くの未完成であったと云える。)

 

(【左写真】二の丸から進むと「植込」と云われる曲輪に至る。写真は本丸から「植込」を見下ろしたもの。その奥に二の丸が見える。【右写真】「植込」は二つの郭で形成されている。その中心部は写真の土塁で区画されている。このような築城目的は理解に苦しむが、倉庫などを築く場所だったのだろうか。二の丸と本丸をつなぐ重要部分ではある。)

 

(【左写真】「蔀(しとみ)の構」と呼ばれる馬出、本丸虎口の一種。車道は後年のもので、もともとは土塁に囲まれた曲輪であったらしい。大手道を防御する一施設として構想されたものらしく、本丸から「植込」に下りる虎口のひとつ。【右写真】「蔀(しとみ)の構」現地説明板)

 

(【左写真】「蔀の構」の脇には大きな窪地がある。おそらく井戸跡であろう。【右写真】「蔀の構」付近から二の丸を見下ろす。手前の曲輪が「植込」でその奥が「二の丸」。)

 

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