雨宮城

朝日城・唐崎城・藤崎城ともいう。標高479m、比高125m。

600年ほど前にこの地の土豪である雨宮氏によって築城されたという。唐崎山頂にあり、生仁館の本城。雨宮摂津守の居城であった。東西24間、南北14間の本郭から六の郭まで作られ、腰曲輪などの三重の段郭を配している(『現地説明板』)。

北国街道の清野から妻女山を抜けて雨宮に至る街道筋を監視していたらしい。現在の松代・千曲地方には同様の山城がいくつかあり、それらを総括したのが尾根伝いの鞍骨山山頂に築かれた清野氏の本拠である鞍骨城である。鞍骨城をもって中心的な城郭とし、また詰めの城としていたという。このような防御体制が武田信玄と上杉謙信の川中島合戦の前に出来あがっており、それが川中島の戦局にも大きく作用したという(『真説・川中島合戦』)。

城址は雨宮駅の近く、「はやしや食品」のある車道に登山道入口がみられる。登山は15分弱。遺構は近年整備された登山道で破壊が進んだようであるが、複数の郭と井戸跡が確認される。

  (信濃史学会編『信州の山城』信毎書籍出版センターの縄張図)

  

(城址全景。頂上に本郭。右は登山道の入口。)

 

(主郭址。井戸の址のようなものがある。右はその奥の腰曲輪。)

 

(二の郭址と主郭の土塁。右側に主郭がある。)

 

 (堀切の址と思われる溝もわずかに確認できる。右写真は三の郭より二の郭、本郭を見上げる。近年、登山道が大幅に拡張されたようで、遺構の一部が失われたようにも感じられた。)

 

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