衣笠城

衣笠城(きぬがさ★★神奈川県横須賀市衣笠町、標高102m、比高80m。)は大谷戸川と深山川に挟まれた半島状の丘陵に位置する。

康平年間(1058-1064)三浦為通によって築城されたといわれ、以後為継・義継・義明の四代にわたり三浦半島経営の中心地であった。

治承四年(1180)八月源頼朝の旗揚げに呼応して、この城に平家側の大軍を迎えての攻防戦は、いわゆる衣笠合戦として名高い。この位置は衣笠城の大手口で、坂を登って滝不動に達する。居館はその附近にあったかと推定され、一段上に不動堂と別当大善寺がある。さらに、その裏山に金峯山蔵王権現を祀った社が存在した。また、その西方の最も高い場所が、この城の詰の場所であったと伝えられている(『横須賀市資料』)。
宝治元年(
1247)北条氏によって三浦泰村一族が滅亡し、佐原氏が継承した以後廃城になったとみられている(『日本城郭大系』)。

現在の遺構は削平地以外に明確ではないが、なるほど城郭に適した立地、地形をなしている。
物見に使われたという巨石があり、その下から武器などが出土したという。城址は「衣笠山公園」ではないので注意したい。横浜横須賀道路衣笠ICを出て、坂口集落に進み、大善寺を目指すとよい。

 

 

 (【左写真】城址石碑【右写真】主郭だったのだろうか広い平場がある。)

 

 (【左写真】一部区画された切岸があるものの遺構かは不明。【右写真】物見岩)

 

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