和田城

平安時代末期の城。

和田小太郎義盛は十六才の秋、父の死をさかいに鎌倉杉本城から和田に移り、このあたりは義盛の居館があった。義盛が和田ノ里に館をおいたが、その頃すでに和田は三浦半島有数の穀倉地帯であったために、このあたりの領民を守り、水田を管理するにも地の利を占めていたともあった。義盛は和田を終生の根拠地と定め合戦に望み、当地から多くの兵士が出陣し、食料が戦陣に送られるなど重要な役割を果たしていたところである。 現在、和田館はその跡をとどめていないが、この館を囲むようにして木戸脇、唐池(空池)出口、赤羽根、矢作などの地名が残っていて往時を偲ぶことができる。また和田館には木曽義仲の妾巴御前が義盛に預けられ、ここで余生を送ったという(『三浦市・現地説明板』)。

その後、三浦氏が半島を統一すると衣笠城を築城、ここは廃された(『日本城郭大系』)。

城址に遺構はないが、国道134号の「和田」交差点を長浜海水浴場に進み、平塚農業初声分校の脇に石碑が建っている。

 

 (【左写真】城址石碑 【右写真】和田小太郎義盛供養碑

 

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