藤沢御殿

江戸時代初期、徳川家康の築城。

藤沢市藤沢一丁目〜二丁目付近は「御殿辺(ごでんべ)」と呼ばれた地域である。ここには将軍の居住する御殿が建設され、周囲に代官の陣屋が配されて御殿の管理にあたっていた。一説に家康は計28回ここに宿泊したという。表御門は南、裏御門は東にあったが、天和二年(1682)には新開されて畑地と化し(『相中留恩記略』)、現在では全く遺構を残していない。

神奈川県には、ここのほかにも平塚御殿(平塚市中原宿)、小杉御殿(川崎市小杉御殿町)が存在していたが、いずれも消滅している(『日本城郭大系』)。

国道1号(境川大橋)の付近、藤沢市民病院あたりが跡地と思われる。わずかに病院裏手に「御殿辺ポンプ場」という施設が残るのみ。

 (左に境川、右に御殿辺ポンプ場で、このあたりが跡地か。

 

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