龍ヶ崎城

伊那谷の最北端部の横川川と小横川に挟まれた尾根の先端に位置する。

もともと諏訪氏に属する城であったが、1545年に武田信玄が伊那口に侵攻し、福与城を包囲した時、信濃守護で林城城主の小笠原長時は援軍を派遣。この城に布陣して信玄の背後をついた。そこで信玄は小山田信有(信茂の父)らを派遣して龍ヶ崎城を攻撃し、結局1ヶ月ほどの攻防で板垣信方の猛攻で落城する。小笠原長時は逃亡して林城に退去したという。これによって福与城の兵の士気も低下して続くように落城した。

池上寺の裏山が城址で、墓地に登山道がある。約15分足らずの登坂。

 

 

(【左写真】本郭は頂上にある。それほど広くはない。 【右写真】本郭土塁)

 

 (郭は3個程度あるようで、堀切も確認できる。)

 

 (【左写真】二の郭には石積みも見られるが遺構かは不明。)

(【右写真】登山道には多くの石像がある。山麓から約15分ほどの登山で城址へ着く。)

 

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