箕輪城
現在の養泰禅寺の後方にあった。代々箕輪氏の居城した場所で、築城年代は不明。箕輪氏は木曾氏の末流・高遠太郎義信を祖とし、その嫡男・箕輪左衛門尉義雄が文安二年(1445)卒と伝えられるので、その頃の築城ともいわれる。 享録四年(1532)頃には福与城主の持城となって木下総蔵が居城して、総蔵が下伊那に移動した後は、福与城主藤沢頼親の養子・重時がここに拠ったが天正十一年(1582)に田中城の藤沢頼親とともに滅亡したといわれている。 現在の養泰禅寺の後方にある。裏山の墓地になっている場所が本郭のようで、土塁と空堀が良好に残っている。城の規模はよく分からないが、隣にはニの郭と思われる削平地も見られる。 |
(養泰禅寺のすぐ裏山が城址。本郭は一面の墓所になっているが周囲を土塁が囲む。)
(【左写真】本郭土塁 【右写真】本郭空堀で大規模)
(【左写真】二の郭で面積はない。【右写真】本郭と二の郭間の堀切)
(【左写真】登山道入口。登山は2分もかからない。)
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