春日城

天文三年(1534)に平家の支流・粟田口民部重吉の末裔・伊那部(春日)大和守重慶が、300貫文を領してこの地に城を築いたのが最初とされる。

重慶の子重親・重国兄弟は、武田信玄の侵攻に抵抗したため、捕らえられて処刑されたという。

天文十四年(1545)武田氏の福与城攻めに対し、信濃国守護職・小笠原長時の弟、小笠原信定が春日城に入って武田軍に抵抗して籠城するも落城。その後武田氏の支配するところとなる。その後、春日昌吉が城主になったが天正十年(1581)の織田信長の高遠城攻めに際しては、武田方につき昌吉は高遠城に籠もって共に戦うが、壮絶な討ち死にを遂げ、それによってこの春日城も落城してそのまま廃城となった。 

伊那市の春日公園一帯が城址である。

 

(【左写真】城址遠望 【右写真】本郭)

 

(【左写真】本郭土塁 【右写真】二の郭)

 

(【左写真】本郭・二の郭の間には中央写真の深い堀がある。【右写真】三の郭で公園化。)

 

 

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