鈴岡城

この城跡は、飯田市駄科の西北部にある段丘の東突端、標高490mにあり、自然の地形を巧みに利用して構築された平山城跡で、いくつかの空堀で区切られた本丸、二の丸、出丸、および二つの外郭並びに西方高地にある遠見原の要害からなっている。

 築城は小笠原貞宗の第二子宗政が松尾家から分家して鈴岡家をはじめた頃と云われている。宗政は貞和元年(1345)天竜寺供養の際随兵を勤めているが、子孫は判明していない。
 築城以来、松尾,鈴岡,深志の小笠原三家の間において、しばしば不運な争いが起こり、消長を重ねたが、天文23年(1554)8月武田晴信(信玄)の伊奈進攻により松尾城の支城となり、天正18年(1590)廃城となった。鈴岡小笠原家は一時的には宗家の松尾小笠原家に代わって南伊奈を治めているが、同家の居城であった。

この城跡は幾多の興亡の歴史を秘めて、ほぼ原形に近い形で保存されており、中世の南信濃における平山城の遺構を探る上で貴重な城跡であるという。 

城址公園になっていて、郭や堀などの遺構が良好に残っている。有名な公園らしく案内表示も豊富で迷わない。

 

(【左写真】本郭址 【右写真】空堀。全体に保存状態は良好で規模も大きい。)

(写真は出郭址で松尾城に最も面した遺構。)

 

(【左写真】出郭から、一族で殺し合いをしたという松尾城を望む。【右写真】その間は深い沢が行き来を困難にしている。)

 

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