高根城

1414年由幾良親王供奉の家臣である奥山金吾正定則が親王を守護するため、葛郷高根に城を築いたのが起源とされる。奥山氏は1504年から1528年頃に駿河守護の今川氏の配下に組み入れられ、北遠江のほぼ全域を支配化においている。

桶狭間の合戦によって今川氏が没落の道を辿ると奥山家内部で今川・徳川・武田への帰属をめぐって内訌・内部分裂が勃発し、その沿争乱の中で城は落ちたという。

武田信玄が遠江侵攻を開始した際には武田氏に属していたようで、信玄・勝頼らによって大幅に改修され、国境を守る橋頭堡とされたが、武田氏滅亡とともに廃城になったようである。

  

(左写真は城址遠望で山頂に城址。中央写真は二の丸から本丸を見る。深い堀もいくつか現存。)

  

 (三の丸と土橋、本丸。保存方法・方針は決して悪くなくて、往時の雰囲気を味わえる。)

 

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