久能城

本城は当地の領主・久能宗隆が構築したものであるが、はっきりした築城年代は分からない。東西と南を水田他帯に囲まれ、雨期になると水面に浮かぶ水城のごとき有様を呈したという。

孫の久野宗能は1568年に徳川家康の旗下に入って城主となり高天神城攻撃や小牧長久手の合戦でも活躍する。1590年徳川家康の関東移封に伴い下総佐倉で一万三千石を給された。代わって豊臣秀吉の部将・松下之綱が丹波の地から入城した。

現在残る遺構はこの松下氏が曲綸・空堀などを構え、拡張した時のものと思われる。1598年に松下之綱が没すると長男重綱が跡を継ぎ、関ケ原の合戦では東軍に属して旧領を安堵され、八代150年の居城となった。1644年廃城。 

  

(草刈などの整備が行き届いていて非常に見学しやすい。中央写真は土塁で右写真は本丸址。)

  

 (本丸のすぐ下には井戸がある。「水をくむところ」という説明文がにくい。中央写真は二の丸、右写真が西の丸で、規模は大きく、郭は他にも多数確認できる。)

 

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