二俣城

標高90mの台地上に築かれた二俣城は、北側から北曲輪,本丸,二の丸曲輪,蔵屋敷,南曲輪がほぼ一直線上に配置されている。天守台のある本丸の南・北にそれぞれ虎口を設け、北虎口は食い違い虎口である。本丸西側には小規模な天守台が残っており石積みは野面積みである。本丸の南側には二の丸曲輪があり枡形門跡がある。二の丸曲輪と蔵屋敷の間、そして蔵屋敷と南曲輪の間には堀切がある。

戦国時代今川氏により築城され、武田軍の修築を経て、徳川方の在城の頃、天守台を始め諸施設が構築された。主な遺構として本丸、天守台、二の丸、曲輪(くるわ)、蔵屋敷などが残っている。二俣城をめぐって武田・徳川軍の攻防の舞台となった。
 天正7年(1579)9月15日、徳川家康の長男信康がこの二俣城で自刃している。 

  

(城址は右側の丘ですぐ脇を天竜川が走っているのが分かる。中央写真は天守台。右写真は本丸虎口。)

  

 (搦め手方面へ下りると堀切がいくつか確認でき、郭もある。右のような石積みもある。本丸付近の石垣とは積み方が異なり、時期の早いものであろうか。)

 

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