小山城

現在、能満寺山公園となっている場所は戦国時代に武田氏の平山城が築かれていた場所。もともと今川氏の築いた山崎の砦が起源という。牧之原台地の枝尾根の最東端、大井川の三角洲に張り出した舌状台地の先端を利用している。

今川氏没落後の永禄11(1568)年、武田信玄が遠江をおさえる第一歩として砦を改修した。武田軍は大井川を越え小山城に入った。一方、徳川家康は松平左近真乗に小山周辺に知行地を与え、攻防の結果、元亀元年(1570)、小山城は松平氏の領有するところとなった。1572年、武田軍は二万五千の兵で攻め寄せ、小山城は再度武田方が奪還することとなる。

これ以後砦から本格的な城郭として馬場信房が改修している。その後信玄が死し、長篠で勝頼が敗北すると、高天神城の落城とともに、ここ小山城も自落する。敗北を悟った武田方は自ら城に火をかけ、甲州へ落ちていったという。 現在、三重堀などの遺跡や「展望台小山城」内の武田氏ゆかりの品々が、当時の面影を偲ばせる。 

  

(城址からは右写真のような焼米が出土するという。展望台小山城の資料館に展示。)

  

 (模擬天守から見ると城址の構造がよく分かる。左写真では、本丸・左に堀があって土橋を配し、そこには馬出しを取り入れて、さらに三日月堀で囲んでいるのが分かる。ただこれらは後年の模擬復元のようである。この左奥には三重の三日月堀がある。保存状態も良好で、三重のその様は圧巻で、これを見るだけでも訪れる価値はある。右写真はその堀にある「勘助井戸」と呼ばれるもの。山本勘助の関与は伝説だろう。)

 

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