横山城

ときは戦国、群雄割拠の世、甲斐の智将武田信玄の北信濃攻略の報に接した越後の上杉謙信はこれを駆逐せんと軍を進め1555年4月、ここ横山城を本営と定め、犀川南岸を本営とする武田信玄と対峙した。

戦線は熱して、7月19日興亡の一戦を覚悟した謙信は全軍に出撃を号令した。武田の本陣に殺到する上杉勢、これを迎え撃つ武田勢、両軍の喚声、軍馬の響きは北信の天にこだました。両者の激闘は流血犀川の水を紅に染め、屍は善光寺平の夏草をむし、川中島の合戦は壮絶に展開していったのである。

しかしながら、猶雌雄を決するまでには至らず、1561年9月10日 "妻女山は霧深く、千曲の川は波高し" と詠われ "弁静粛祝夜河渡・・・・・" 頼山陽の歌にも有名なる第4次の激突、謙信、八幡原に陣する信玄の本営に斬進を敢行し、信玄に三太刀 七太刀の剣を浴びせたが敵槍に愛馬「放生」が狂奔し、千載の機を逸し、やむなく全軍をここ横山城に収拾遺恨の涙をのんだのであった。戦国武将が青雲の夢馳せたであろう。 (『現地説明看板』より)

善光寺隣にあるこの平山城。城山公園というのがあって、近くの公民館に城の説明看板があったものの、遺構は全く確認できなかった。

  

 (謙信が本陣を置いたという城址。その規模は今では計り難いが、横山公園近くの公民館に左写真の案内がある。ここは周辺に比べて小高くなっており、布陣の地であろう。右写真はそこからの写真で、左端に善光寺の本殿が見え、後方に葛山城・大峰城が険しくそびえている。)

 

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