権現山城
権現山城(★神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷) 標高22,7m、比高15m。室町時代末期、上田蔵人築城。 観応三年(1352)足利尊氏が新田義貞勢に鎌倉を追われて、ここに立て籠もったとされる(『新編武蔵国風土記稿』)。 永正七年(1510)の扇谷上杉朝良家臣・上田蔵人政盛が、北条早雲(伊勢新九郎長氏)の内応に従って、この城で叛旗を挙げたのが城郭としての明確な起源であるという(『日本城郭大系』)。 『鎌倉九代記』は、「四方嶮岨にして切岸高く、南は洋海浸々として、雲の波、天に連なりて邊なく、北は深田の底知らず、馬の足更に立つべからず。西の方には小山の続きたる其の間を堀切」と、要害の様子を伝えている。 しかし、現在では山自体が改変を受け、遺構は消失したばかりか、権現山の地名すら失っている。権現山はわずかに幸ヶ谷公園となり桜の名所として残っている。線路越しに青木城址の本覚寺が望める。 |
(【左写真】幸ヶ谷公園 【右写真】現地看板)
(青木城から見た全景。中央の山が城址。)
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