寺尾城

標高38m、比高25mの平山城。

歴史に関しては不明点が多い。一説に、「小田原北条家に属せし諏訪三河守が居城の跡なりと云」(『新編武蔵国風土記稿』)と、信州の名族・諏訪氏の支流・鶴見諏訪氏が戦国時代に築城し、永禄十二年(1569)、武田信玄の小田原城攻撃の際に、城主不在で落城したと云う。また、諏訪三河守の築城時期は、天文年間(1532−1555)ともされる(『日本城郭大系』)。諏訪三河守は永禄二年(1559年)後北条氏より二百貫文の所領を受け、江戸衆(江戸城に参じる軍団)に配属された人物であった(『小田原家人所領役帳』)。

JR京浜東北線の鶴見駅西口から川崎鶴見臨港バスの殿山バス停から馬場三丁目の坂道を登った東高の裏山、住宅地の一角に「寺尾城址」の碑がある。また、住宅地一角の小さい公園には発掘状況の説明看板がある。遺構は、『日本城郭大系』が刊行された昭和55年より更に破壊は進んだようだが、先の公園を少し降るとわずかに堀と土塁らしき地形は認められる。

 

(【左写真】城址主要部 【右写真】民家の庭先にある城址碑)

 

(【左写真】発掘状況の現地説明板 【右写真】土塁らしき地形)

 

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