長島高城

『小田原衆所領役帳』によれば、太田新六郎がこの葛西高島の村に役高を有していた。また、長島高城との記載があり、『葛飾記』(寛永二年1749年著)にも、「この所は昔、長島という城主の城下の湊であった」との伝えている。これらから、現在の清光寺が城址の推定地とされており、周辺には大門・馬場などの地名が残っていると云う(『日本城郭大系』)。

遺構は一切見られないが、旧江戸川と新川が合流する要害の地に位置している。

 

(【左写真】清光寺 【右写真】現地説明板)

 

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