今川氏真館

今川氏直館(★東京都品川区広町2丁目)

今川氏真は、甲陽軍鑑』品第十一に「我が国を亡し我が家を破る大将」と一例され、戦国時代を代表する愚将とされている。

永禄十二年(1596)徳川家康に遠州掛川城から追放された今川氏真は、夫人の弟である北条氏政を頼って品川の地に流れてきた。
当地にあった権現山に居館を築いて住んだといい、その後、この場所は氏真の次男である高久が継承して、以後品川氏を名乗ったという(『日本城郭大系』)。

館跡は、JR京浜東北線大井町駅北側と云われている。JRの敷地となっており、全くその面影を失っている。

 

(今川氏真像・個人像)

 

(JR京浜東北線大井町駅北側の館跡地)

 

今川氏真

駿河国戦国大名。今川義元の子で母は武田信虎の娘。永禄三年(1560)父・義元が桶狭間で横死したため家督を継承する。1562年に元家臣であった三河の松平元康(徳川家康)を攻撃したが振わず1566年頃までに三河を失い、徳川氏の独立を許す。1567年には父が武田信玄と結んできた重要同盟が破棄され、家中に大混乱を来たす。1569年、後北条氏と結ぶものの武田・徳川家の攻勢は防ぎ切れず、最後は掛川城から退去して名門の家を滅亡させた。

交友を結んでいた北条氏康の保護下におかれたものの、元亀2(1571)に北条氏政によって放逐されると浜松の徳川家康の援助を乞うて諏訪原城主になる。しかし再び流浪し、1575年父の仇敵である織田信長に今川家所有の香炉「千鳥」贈り、続けて京都で信長に蹴鞠を披露する。「宗ざん」と称し京都で暮らしていたが、幕府から禄を貰い受け武蔵品川に屋敷を与えられて晩年を送った。77歳を一期として16151228日に歿した。

彼が戦国大名の地位を継承したのは本当に不幸なことであって、またその時代に生をうけた事を恨んだのは氏真自身であったろう。

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