大名屋敷

『新編武蔵国風土記稿』の長房村の項には、的場と古井戸ふたつが残り、空堀が若干残っていると記載されている。また、『武蔵名勝図会』は、近藤出羽守助実の屋敷であろうと推測している。

これらの史料は文政年間(1818〜1830)に編纂されたもので、現在では全く遺構を失っており、その場所を特定することすらできない。『日本城郭大系』は、淺川支流の出羽橋付近に、甲斐武田氏に備えるべく近藤出羽守助実が配備されたという伝承を紹介しているが、こちらも確証はない。なお、助実は八王子城落城時に討ち死にしている。

 (出羽橋付近)

 

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