檜原城

標高449m、比高187m。

檜原城の築城・城主などについては不明なところが多いが、少なくとも戦国期の後北条氏時代後半に戦略上の理由からこの地に築かれ利用されたものと考えられる。天正十八年(1590)豊臣・徳川両軍の関東侵攻の折には、後北条氏の支城として機能していたが、同年七月十二日に攻められ落城。以後、廃城となる。城址は主郭を中心に南と北に伸びる尾根を階段状に削平した小規模な郭からなり、核は細い土橋で接続されている。南に延びる尾根には数本の竪堀が設けられ、敵からの攻撃を受けにくくする工夫がなされている。都内に現存する中世城郭のうち、戦国初期の構造をよく残しており、歴史的、学術的にみて価値は高い(『東京都教育委員会・現地説明板』)。

城址は檜原村役場近く、吉祥寺の裏手から登山道が走っており、急傾斜の登山15分程度。頂上部に複数の郭が認められるが複雑な構造ではない。また山麓まで続く巨大な竪堀がある。これは長野県の割が岳城でも同様の遺構が見られ、根小屋から城域に直接物資を運ぶ運搬路だったものと思われる。

 

 (【左写真】説明板のある削平地。ここからさらに郭が続く。【右写真】土橋状の堀切を越え頂上部へ進む。)

 

 (【左写真】4つほどの郭が連続している。古い形状の遺構。【右写真】城址の虎口部分。)

 

 (【左写真】山麓まで続く一直線の竪堀。ロープで物資を上げ下ろししたのだろう。【右写真】現地縄張図)

 (右側の頂上が城址。檜原役場付近から望む。)

 

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

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