大森城

大田区大森中3丁目にはかつて「堀の内」という地名があって、鎌倉時代から大森郷と永富郷を支配した大井氏の城・館があったという説がみられる。

この村は江戸時代まで栄えて、幕府の直轄地として代官を置かれて明治に至っている。30年前くらいまで「陣川」または「陣の堀」と呼ばれる小川が東側を流れていたというが、現在では埋め立てられて見る影も無い。幅2メートル、深さ30センチ程度のドブ川であったというから、城の水堀址だったのかも知れない。またその西側にもかつては呑川が流れ、周囲を川に囲まれた自然堤防の突端に位置する要害の地であったことが分かる。

今、当地をくまなく歩いてみても一面の住宅地と化し、遺構らしきものは見当たらないが、陣川と呑川の中心地の「三輪神社」付近が本郭であったとするのが自然だろう。(昭和61年に文化庁が神殿再建のため発掘調査したが遺構はなかったようである。)

旧呑川は埋め立てられて緑地としてわずかによすがを残すのみであるが、自然の水堀として城郭の一部をなした遺構と考えたい。ただこの城に関する史料は全くないようで、いずれも推測の域を出ない。

なお『日本城郭大系』ではこの城を「大森堀の内」として検討されている。

 

(【左写真】城址と思われる三輪神社。【右写真】は城の水堀址と考えられる旧呑川の新緑地。)

 

(【左写真】呑川に架かっていた「不帰橋跡」。【右写真】のように川は入り組んでいたらしくで、守るに適している。)

(なお「堀の内」という地名は、現在では地区の自治会の名前に残るだけである。)

 

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