斎藤氏館

『新編武蔵国風土記稿』によれば、妙安寺の寺伝に「斎藤政賢が庵室をむすべり、此則この地なり」と記し、妙安寺がかつて斎藤政賢の館であったと伝えている。永禄年間の1558〜1570年の戦国期の創設らしい。政賢の弟・行方修理守亮義安は後北条氏の被官人であり、その死後に妻であった妙安尼が元政賢館の場所に庵を結び、1589年に歿してその地に妙安寺が開基された。1643年に造立された妙安尼の供養塔が今も残っている。

なお『新編武蔵国風土記稿』という史料は,大学頭林衡を総裁とした昌平坂学問所に設立された地誌調査所で,文化7年(1810)から文政11年(1828)に至る19年間にわたって地理局の史官41名が編纂した江戸幕府の官撰地誌。計266巻からなる膨大なものであるが、特に武蔵国22郡の町村誌は記述が詳しく正確で、江戸時代の武蔵国研究の根本史料

 

(妙安寺と妙安尼供養塔。この東隣には八幡神社があってそこも館址というが、いずれも遺構は見当たらない。)

 

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