番神山城

太田道灌塁とも呼ぶ。かつて太田道灌が取り立てた比高10メートルの平山城といい、江戸時代には出石藩仙石家の藩邸があったという。

江戸時代から既に土取り場として破壊されていたが、まだ明治時代までは土塁がよく残っていたようだ。『日本城郭大系』が刊行された昭和54年には城址は雑木林が残り面影を伝えていたという。その具体的な場所がどこなのかは分からない。神谷町の専光寺の裏、オランダ大使館辺りが小山になっていて城址の雰囲気を持っているが明確でない。

 

(専光寺裏は急斜面になっている。中央奥は東京タワー。)

 

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