天神山城

太田道灌が主君である上杉定正に江戸に城を築くように命じられた際に検討された場所のひとつで、馬込村の山地である。

この時代の馬込村は梶原景時の孫・景望が初代地頭職となって道灌と同じ扇谷上杉家の執事職であったから、景望らの案内があったのかも知れない。しかし視察に訪れた道灌に対して村人が、この地の入り組んだ地形が九十九谷と呼ばれていると話すと、その数を忌み嫌って、この地を諦めて江戸城を築いたという。

『新編武蔵国風土記稿』には1800年代初頭のこの地域について「土地高低甚し、故に土俗に九十九谷と称す」と記して、その要害ぶりをうかがわせている。今でも息を切らせる急坂が取り巻く難所であって、街道を扼する地である。もし道灌がここを選地の対象にしたのであれば、既に何らかの城や砦があったのかも知れない。山頂付近には「北野神社」が古くからあって、周囲を天神山と呼んでいたらしい。この辺りが最も城建築に適している。

しかし道灌がここを検討したという説は文献の裏づけがない。江戸城と天神山では根本的な地勢が異なっている事や近くに梶原家の馬込城が既にある事などから信憑性には疑問を附したい。

 

(【左写真】天神山付近【中央写真】北野神社【右写真】天神山を環七から望む)

 

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