葛山城

 葛山城は鎌倉、室町、戦国期を通じて東駿一帯に勢力を振った葛山氏の本拠地である。この地には葛山氏が平時居住した館跡と戦闘に備えて築造した城跡があり中世城郭の形態を明確に知ることができる数少ない貴重な史跡として国の重要文化財に匹敵するといわれている。

城の構造は主郭(本丸)、二の丸、東曲輪、西曲輪、大手曲輪と、その他の小曲輪群、掘切、縦堀、水堀等からなり、山頂部を階段式に削平して、主部を中央に設け、その左右に曲輪を配している並郭式の山城である。

戦国時代の葛山氏は、氏堯、氏広、氏元と三代続き、大永5年以降永禄12年までに発給した文書は52通の多くにわたっている。天文初年頃、葛山中務小輔氏広や葛山八郎氏元が駿府で公家と交流し歌を詠んだことは『為和郷集』によりうかがえる。裾野市の整備が非常に行き届いており、それぞれの遺構にも看板が立っている。当然ながら遺構の残存度も良好である。

 

(【左写真】葛山氏館から見た城山遠望。仙年寺の裏手に登山道がある。【右写真】城山山腹にある葛山氏代々の墓)

 

(【左写真】竪堀址。いくつも同様のものが確認できる。【右写真】投石址。ここに攻撃用の河原石を集めていたという。)

 

(西の郭と二の郭を遮る堀切で一番の見所か)

 

(二の郭虎口と帯郭)

 

(【左写真】二の郭【右写真】本郭。さほど規模は大きくないが、城郭としての一通りの縄張りはされ、保存状態がよい。)

 

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