大畑城

 大畑城は室町時代後期、葛山氏によって築かれたとされるが詳細は不明である。葛山氏はこの大畑城より北約2kmに本拠となる葛山城を築き、鎌倉時代から戦国時代にかけて東駿一帯を支配した豪族であり、この大畑城にはその一族が配されていたと推測されている。

葛山氏が支配していた東駿地方は甲斐・相模に隣接し、今川・武田・後北条氏など戦国時代の超有力大名の騒乱の境地となっていた状況もあり、葛山氏は主君を次々と替える事によって一族の存続を計っていたが、のち没落。

永禄十二年(1569)、甲斐武田信玄の六男・葛山信貞が葛山氏元の養子となって名跡を継ぐ事になった。以降、この大畑城も武田氏の属城であったと考えられるものの、この大畑城の廃城年などは伝わっていない。1582年に武田勝頼が滅亡した時に葛山信貞も甲府善光寺で切腹していることから、その辺りが検討できるかも知れない。

 

(【左写真】本郭【右写真】そこにある塚。一部では「首切り塚」と呼ばれて心霊スポットになっているようだ。

ただ塚の歴史的由緒は分からない。)

 

(【左写真】西郭。このように荒れていて全体的に不明瞭。【右写真】西郭から本郭を見上げる。)

 

(一番の見所である西側の大堀切。【右写真】の弘法大師堂の裏から登ればすぐに見付かる。)

(しかし登山道はなく、わずかに踏み址が見られるだけ。心霊スポットとして深夜に登山するには過酷な地形だ。)

(頂上に城址)

 

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