南一色城

 南一色の城山の頂上に位置する。城というよりも砦の規模であるが、典型的な中世城郭の様相をよく残している。

しかしこの城に関する史料は全く見当たらない。城名もこの地域のものを転用しただけである。ただ約1キロほどしか離れていない長久保城とは切り離せない関係にあるようである。そこから天正年間(15731592)の戦国動乱の真っ只中に築城されたと考えられている。

長久保城と同様に武田氏の支配時代に築城もしくは大改修が行われ、後北条氏への対抗拠点され、天正10年(1582)武田氏の滅んだ後、廃城になったか、徳川家康が領したのでないだろうか。遺構は比較的よく残っている。二の丸、三の丸あたりは畑となって破壊されたようであるが、本丸との堀切・空堀などが残存している。

  

(【左写真】本郭【中央写真】他にも郭はあるものの畑になっている。【右写真】本郭と二の郭を隔てる堀切。)

 

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