沼津城(三枚橋城)

 三枚橋城とも呼ばれる。天正五年(1577武田勝頼によって築城された東方の後北条氏に対する城郭が起源。1582年武田氏の滅亡とともに沼津三枚橋城主・高坂氏の甲州への逃亡により、城は後北条氏の物となる。

慶長六年(1601)徳川家康の家臣・大久保忠佐が城主となったが、忠佐の死後世継ぎが無く廃城となる。三枚橋城廃城後の沼津は、駿府領に編入されて代官支配となったが、安永6年(1777)水野忠友が2万石で沼津に城地を与えられ、ここに沼津水野藩が誕生する。

明治になって城は沼津兵学校の校舎に使用されたが、間もなく廃校となり、明治5年(1872)に城は県で競売に付し解体され、同22年(1889)、東海道線開通に伴い、南北に縦貫道路が設けられた。その後、沼津は2回の大火に遭遇し、城の堀は埋められ、その面影を偲ぶことはできなくなった。

現在川廓町の北、中央公園の一角に「沼津城本丸址」の石碑が建てられており、大手町の城内神社境内には「沼津兵学校記念碑」が残っている。川廓町の東の志多町には城の石垣が一部残っているがいずれも江戸時代で、戦国時代のものではない。城の南北は現在の沼津駅前から御成橋の手前までで、大手門は駅南側に造られ、本丸は中央公園辺りにあった。かつて三枚橋城の城内であった上土町や川廓町には、新たに往還道がつくられた。

 

(JR沼津駅から徒歩10分ほどの大手町にある中央公園が本丸址。しかし石碑があるのみで旧状は不明。)

 

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