浄福寺城

標高360m、比高150mの本格的な山城で、新城・案下城・松竹城・千手山城などとも呼ばれる。

陣馬街道の中程、圏央道の下をくぐると間もなく浄福寺があり、城址は寺の裏手の山上にある。主郭は千手山一帯で、山麓の寺は城主の居館跡ではないかといわれている。

城の築城については諸説がありハッキリしないものの『新編武蔵国風土記稿』に「大石源左衛門尉入道道俊と云もの当所に居城を構へし」とあって大石定久(道俊)の築城を思わせる。また大石氏は北条氏康の子・氏照を養子に迎えて滝山城を譲り、北条氏の傘下に入ったが、氏照に家督を譲った大石定久はここを隠居の地にしたともいう。

いずれにせよ確実なことは不明で、『日本城郭大系』は大石信重の時代に甲斐に通じる古道を監視する出城として築かれ、その後北条氏照も利用したのではないかと推論されている。

浄福寺の裏手にある登山道から25分ほどで頂上の主郭址に着く。いくつかの郭や出郭、堀切などがよく残っている。豊臣秀吉軍によって八王子城が落城した時に廃城となったのであろう。

 

(【左写真】主郭。城址看板なく古い祠がある。【右写真】二の郭から主郭を見上げる。)

 

(【左写真】二の郭。かなりの面積があって籠城も可能だ。【右写真】二の郭虎口。)

 

(【左写真】大手道、四の郭真下にある堀切。すぐ急坂になり堅固な配置。)

(【右写真】城址から西に下りて行くとふたつほど出郭が確認できる。)

(城址遠望。頂上が主郭で、尾根伝いに登山する。この山の右側の山麓に浄福寺がある。)

 

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

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