二伝寺砦

玉縄城から800mの距離で、その砦群のひとつとされる。永正九年(1512)頃、北条早雲によって玉縄城とともに創設されたようである(『日本城郭大系』)。

玉縄城への南方からの攻撃に備えるべく、高谷砦が落ちた場合に、最終的にこの砦をもって食い止める目的であったと推察される(『鎌倉市史』)。また戦国時代にできた新ルートである藤沢から鎌倉へ抜ける古道を押さえる目的もあった(『藤沢市史』)。

現在では、墓地等のため切り崩され、原形をとどめていない。広い平坦部を中心に、二つの低丘が見られ、それぞれ削平され、腰郭らしきものもあるが、自然地形との区別は困難である。かつては堀切なども残っていたというが、現在、どこまで遺構とするかは明確な状態でない。

藤沢市渡内3丁目13の二伝寺の裏山で、「相模陣」と呼ばれる谷を隔てて、玉縄城とは指呼の位置にある。

 

 (【左写真】頂上部。削平され村岡氏の五輪塔などがある。【右写真】腰郭らしき地形だが遺構かは不明。)

 

 (二伝寺で、この裏手に砦跡。

 

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