長尾砦

小田原北条氏の玉縄城の出城とされる。

もとこの地に鎌倉武士・長尾氏の館があったという。長尾氏は平安時代の武将で、鎌倉景政の子孫がこの地に移り住んで長尾次郎と名乗り、鎌倉長尾氏の始祖だと伝わる。長尾氏は宝治元年(1247)六月・三浦泰村の乱で滅亡したが、室町時代にはその一族・長尾景仲が活躍し、戦国時代に長尾顕方等の屋敷があったというから、その後も一族の子孫達がこの地に定着していたと考えられる。戦国大名で有名な上杉謙信(長尾景虎)も、もとは越後国守護代の長尾氏であり、本長尾氏の子孫となる。その後、小田原北条氏の勢力が及ぶと、長尾氏もその下に組み込まれ、玉縄城主・北条綱成の領地とされ、長尾氏の屋敷にあった長尾台に砦が築かれて、柏尾川流域一帯を掌握する根拠地となり、三浦・武蔵方面への支えとした(『栄区役所・現地説明板』)。

跡地は玉縄城の北東1.5kmの長尾台に位置する。JR大船駅から柏尾川沿いに北上し、環状四号手前を長尾台町に入り、薄暗い小道を登って開ける高台が砦跡。小道の途中に説明板があり、近く御霊神社が居館跡という。もともと屋敷だった場所に砦を築いたというのだから比較的大規模だったのかも知れないが、一帯は畑になってしまった。周辺斜面には郭らしき遺構は認められるが、整備されておらず調査は困難な状況。

 

 (【左写真】砦跡の長尾台 【右写真】現地説明板)

 

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