梶原景時城

正治元年(1199)頃、鎌倉幕府草期の重臣・梶原景時の築城。

彼は、源頼朝が歿して、その子・頼家の二代目継承にあたって将軍家の独裁をおそれた御家人の一人で、計十三人からなる合議政治を開始した人物。

もともと城域は約2,800平方mもある広大なもので(『新編相模国風土記稿』)、何者かの屋敷の跡と推察される遺構が二箇所あるという。この地域は古くから交通に要衝で、鎌倉期から戦国期まで、代々の豪族の拠点として利用された可能性が大いにある(『日本城郭大系』)。

高座郡寒川町一之宮8丁目の「一之宮小入口」交差点の脇に天満宮があり、跡地とされる。現地の縄張図に従えば堀の跡らしき地形は認められるが、住宅地と化し、ほとんど遺構は期待できない。

 

 (【左写真】跡地とされる天神社・天満宮。【右写真】住宅に埋没した堀の跡。)

  (現地縄張図)

 

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