湯坂城

湯坂城は、室町時代、御厨(みくりや)−御殿場地方−から西相模一円に勢力をはった、大森氏が築城した城である。応永25年(1418)、上杉禅秀の乱で関東管領・足利氏を助けた大森氏は西相模の地を与えられ、拠点を小田原城へ移し、足柄・箱根を支配下に置いた。そして山岳部の要衝の場所に砦や城をいくつも築いたようである。この湯坂城は鎌倉古道を抑える目的で築城されたとみられる。

この大森氏は、明応4年(1495)相模支配を狙う伊勢宗瑞(北条早雲)に滅ぼされ、代わって箱根山は、後北条氏の支配下になった。湯坂城もその支配下とし、小田原城を守る支城として機能していた。

天正後年、豊臣秀吉と、北条氏の確執が激しくなると、後北条氏は、秀吉との対決を予測し、小田原防衛のため箱根山に多くの山城を築くが、湯坂城もその時整備されたものと思われる。しかしこの城が扼す湯坂道が逆に上方の軍勢に利用され、ここを抜いた豊臣軍は早雲寺に本陣を置き、石垣山城を築いたため小田原城は落城し、湯坂城もそのまま廃城になった。

  

 (湯元から見た城山遠望と登山道入口。登山道は国道1号箱根湯元駅を過ぎて旭橋を渡るとほどなく左手にある。)

(ここから急坂を一気に30分ほど登ると城址に着く。)

 

 (土塁と堀切らしきもの)

 

 (【左写真】主郭にある物見に使えそうな岩。【右写真】主郭と城址説明看板。)

 

 (【左写真】主郭虎口【右写真】主郭を巡る土塁と空堀址)

 

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