宮城野城

 

『新編相模国風土記稿』には地元の伝承として、ここは城山とかつて呼ばれ、空堀も確認でき、今川氏直の出城であったと記されている。しかし歴史的史料には一切この城のことは出てこなく、詳細は不明である。「小田原城郭研究会」によれば、3郭から成るものの、丸型の郭であることから相当に古態を示しているという。

国道138号の宮城野村ファミリーマートを山沿いに登って明神ヶ岳の中腹に伸びる山道を仙石原方面へ50分ほど歩くと、視界が開けて「碓氷梅園」に辿り着く。この碓氷道は、箱根・足柄越えの主要ルートであったらしく、今の「碓氷梅園」の場所は、その街道を扼し、西への防御の要衝であることから宮城野城が築かれていた。

大森氏は駿河国駿河郡大森に由緒をもつ藤原系の名門で、16代・大森道光頼春は、応永23年(1416)に関東管領・上杉禅秀(氏憲)が関東公方・足利持氏に対して起こした「上杉禅秀の乱」において持氏を助け、その武功によって相模西部に本格的に進出し、小田原城を築城し、箱根・小田原地方に覇を唱えたものの、明応4年(1495)に北条早雲に滅ぼされた。その後、北条氏家臣の庇護を受けて菊池・佐久間などと名を移して、関ヶ原の合戦の際には徳川秀忠に登用されて大森の家を復興させたという。

 

  

 (城址説明看板と主郭。梅林となっていて、削平地以外に遺構はない。)

 

(【左写真】城址を貫くパイプ【右写真】国道138号宮城野村ファミリーマートから城山を望む。中央の山が城址。

(ところどころに「碓氷梅園」の案内があるので、それに従って登山する。)

 

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