塔ノ峰城

 

築城は大森氏時代でないかとされる。箱根の山々は今では想像に難しいが、戦国時代にはその深い山中に街道が走っていた。塔ノ峰もそのひとつであり、西から明神岳を経由する四ツ尾越え(宮城野城がある)をして、尾根伝いにそのまま小田原城の裏側へ通じる戦略上の重要地点であった。

天正18年豊臣秀吉の小田原城合戦時にはこの塔ノ峰を経て秀吉の支隊が小田原西の水の尾に到着している。それまでここは北条氏政(北条氏直とも)の取り立てた城で、上方軍に落とされたが、この時の軍は五大老のひとりである宇喜多秀家だといわれる。

さらに塔ノ峰の頂上からやや小田原方面に尾根を下ると鍋曲輪とよばれる凹部があり、ここは同じく小田原合戦の時に小早川隆景と安国寺恵瓊が2万の兵をもって滞陣したという(『関八州古戦録』)。

城址頂上はそれほど広くない20m×30mの削平地があって、周囲には土塁が巡っている。さらに腰曲輪が配され、空堀址のようなものも確認できる。規模は大きくないが険しい山頂にあって街道を警戒するのであるから充分であったろう。

 

 (【左写真】塔ノ峰頂上部でここが城址 【右写真】主郭)

 

  (【左写真】主郭の小田原側虎口と土塁 【右写真】主郭を巡る腰曲輪。わずかに空堀址も確認できる。)

 

  (【左写真】主郭の明星ヶ岳側虎口。土塁が良好に残存 【右写真】小早川隆景と安国寺恵瓊が在陣したという鍋曲輪

(城址遠望。手前の山が城址で、後方には明星ヶ岳がそびえる。城址へは山麓からキツい登山約1時間。近道は強羅温泉から小田原に抜ける久野林道を利用すると分かり易い登山道入口がある。そこからなら徒歩15分程度。)

 

(久野林道の登山道)

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