獅子浜城

戦国期の築城と見られ、現在城山と呼ばれる本能寺の裏山に位置し、鷲頭山が西に向かって駿河湾に大きく突出した丘陵を利用して築かれている。城主の居館は本能寺境内にあったといわれ、東側は鷲頭山の急崖、北側に砦、南側に詰城が築かれており、三方が要害となっている。後北条氏の西伊豆海岸防備の拠点、水軍援護基地であったと思われる。詰城は館の東南にあり、半独立丘状を呈し、二つの郭で構成されている。砦は東西に伸びる尾根上にあり、空堀で背後の山と区切られている。また、鷲頭山上が見張り台としてりようされたといわれるが、今ではいずれも明確ではないようだ。

天正4年(1576)頃に後北条氏の大石越後守が守備していた。また武田勝頼の天正9年年(1581)の自身の書状で、この城が陥落したかどうかを沼津城主に問うものがあって、この周辺も武田軍によって攻められていたのは間違いない。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原合戦の際に城主が小田原に出仕したらしく、その敗戦後にここも廃城になった。

現在、城址は別荘(保養地)となっていて入ることができないようだ。わずかに国道414号沿いに「しろやま」の地名があって、近く本能寺に参れるのみ。

 

  (【左写真】城址址の別荘? 【右写真】地元の方の話ではかつては城址の碑があったというが、今は別荘になり何も残っていないとのこと。わずかに城山を呼ばれているだけのようだ。)

 

  (【左写真】城主の居館址・本能寺 【右写真】城址遠望)

 

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